雷が運営するサイト・蒼雲草のブログページ。日々のことを書き綴る予定。あくまで予定。
ずいぶん前にWikipediaでキマイラのことを調べていたら、トルコ版の記事に「キマイラはベレロフォンによって地下七層に落され、今もそこで炎を吐き続けている」という記述を見つけたことがある。
キマイラは、火炎を吐く怪物で、頭が獅子、胴がヤギ、尾は蛇という異形の姿をとる。
姿形については、獅子とヤギの双頭だとか、尾も蛇そのものだとか、有翼だとか異説も多い。
この怪物はリュキア(現在のトルコ南西部)に棲みつき、町を襲って人々を苦しめていた。
そこで勇者ベレロフォンがペガサスを駆ってキマイラに挑み、みごとキマイラを討ち倒した。
これが、ギリシア神話のキマイラにまつわるエピソードの大筋だ。
しかしトルコの伝承では、少々様子が異なる。
ベレロフォンがペガサスに乗ってキマイラと戦うのはそのままだけど、ベレロフォンは槍を振るって、キマイラを7層の大地の底に叩き落とすのだ。
地底に閉じ込められたキマイラは炎を吐き続けており、その炎は、いまも地上で燃え続けているという。
この「キマイラが吐き続けている炎」が地上に現われたのが、ヤナルタシュの炎だという。
ヤナルタシュとは、トルコ語で「燃える石」という意味で、国立公園内にある天然ガス源のこと。
岩の谷間から噴出するガスは燃え盛り、その火が消えることはない。
んで、肝心の「キマイラは7層の大地の底に閉じ込められた」という部分の出典が、いまいち分からない。
当該伝承を記載している旅行ガイドもあるけど、文面がWikiの記事とそっくりで、出版年も考え合わせると、どうしても完コピを疑ってしまう。(Sari , 2018 , p.52)
地元の自治体やホテルの公式サイトにも関連記事があるから、根も葉もない話ではないはず。
アクデニズ大学のサイト内にも、この伝承についての研究ノートらしいページがあったけど、URLを失念し、当該ページにたどりつけなくなってしまった。
二度と手掛かりを失わないよう、こうして覚書きを残しておく。
Sari, E.『Terra Magazine (Hazİran Sayisi)』, 2018.6
Ford Hotel「Chimera」(https://www.fordhotel.net/chimera-liva-160.html)(2024.5.13)
T.C. Kemer Kaymakamlığı「Chimera/Yanartaş」(http://www.kemer.gov.tr/chimerayanartas)(2024.5.13)
「井の中の蛙、大海を知らず」とは、狭い知識で物事を見ること、という意味の慣用句だ。
語源は荘子の「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」だけど、日本では「このことわざには、じつは続きがある」という言説が流布している。
この"続き"とやらのバリエーションは様々で、「井の中の蛙、大海を知らず。されど空の青さを知る」「空の高さを知る」「空の深さを知る」などがある。
さらに「井の中の蛙、天を知る」という言い回しもあるらしい。
これは陶芸家・河井寛次郎の造語で、河井は1962年に「井蛙知天」の書をしたためており*1*2、「自分は日本から一歩も出たことはないが、井の中の蛙天を知る――で天の広さを知っている」とも語っていたっぽい。*3
どうやら、この「井蛙知天」が、「井の中の蛙、大海を知らず」の"続き"の初出のようだ。
また、北條民雄は1937年に「井の中の正月の感想」で、ハンセン病にかかって隔離生活をすることになった自身の境遇について「かつて大海の魚であった私も、今はなんと井戸の中をごそごそと這ひまはるあはれ一匹の蛙とは成り果てた」と嘆きながら、「とはいへ井の中に住むが故に、深夜冲天にかかる星座の美しさを見た」「大海に住むが故に大海を知ったと自信する魚にこの星座の美しさが判るか、深海の魚類は自己を取り巻く海水をすら意識せぬであらう」と主張している。*4
「井戸の中を這いまわる蛙」と「中天にかかる星座の美しさを見た自身」とを対比させていて、河井の「井蛙知天」の精神的祖型といえそうだ。*5
さらに、「井の中の蛙大海を知らず、しかしよしのズイから天をのぞいたら、また別に新しい人生もあろうというものだ。新しい世渡りの發見!」という詩も見つけた。*6
「葦の髄から天井を覗く」とは、細い葦(よし)の管を通して天井を見るように、狭い見識で物事を考える、という意味の慣用句。
井の中の蛙も、葦の髄も、どちらも知識の狭さをいましめる言葉なのだけど、後者については新しい視点に立つ」というようなポジティブな使い方をしていて、意味合いを逆転させているのが面白い。
ちなみに「葦の髄から天井を覗く」は、「管見」と同じく、自身の見識を謙遜する言い回しとして使われることもあるらしい。
他方、「井の中の蛙大海を知らず、されど井の深さを知る」という表現もある。*7
いままで挙げてきた例と違い、手が届くことのない天空ではなく、自分が今いる井戸に視線を向けた表現で、個人的にはこちらの方が好みだったりする。
ついでに、検索している最中に、ある人物を「決して井の中の蛙的ではなく、大海の青龍であろふ、が而し如何にしても活動の天地が狭いが故、思ふ中途にも行くまい」と称賛している文章も見つけた。*8
蛙から龍へ、井戸から大海そして天地へとスケールアップする表現に、心くすぐられる。
1. 森本 , 2018
2. また、河井は雑誌『民藝』への寄稿文の小見出しを「井蛙知天」としている。(河井 , 1965)
3. 国民生活研究協会 , 1959 , p.6
4. 北條 , 1937
5. そもそも北條の「井の中の正月の感想」は、ハンセン病患者を「井の中の蛙」になぞらえた関西MTL理事・塚田喜太郎の差別的・嘲笑的な論稿「長島の患者諸君に告ぐ」に反論するため書かれたものだった。
6. 大山 , 1951 , p.124
7. 吉岡 , 1997
8. 平山 , 1913 , p.25
参考文献
・大山広道『世渡りの道 処世百科事典』(鷺ノ宮書房 , 1951 , p.124)
・河井寛次郎「六十年前の今(40)」(民藝148 , 日本民藝協会 , 1965.4)
・塚田喜太郎「長島の患者諸君に告ぐ」(山櫻18(10) , 1936.10)
・平山清治郎『名士の応対振り』(香鹿民友社 , 1913 , p.25)
・北條民雄「井の中の正月の感想」(山櫻19(1) , 1937.1)
・森本泉「酷暑のなか、涼しい美術館で「民藝」の巨匠と出会う」(WebLEON FROM EDITORS , 2018.7 , https://www.leon.jp/editors/8820)
・吉岡忍「日本の南の端にこんな場所がある ひとがみな自分の家で死ねる島」(文芸春秋75(2) , 1997.1)
・産業と生活(19)(国民生活研究協会 , 1959.11
BSIという支部企画に投入したシーアというキャラは、警察組織に協力する代わりに、監視付きで刑務所から釈放され、一定の自由を得た「受刑者」だ。
このシーアに、元囚人の再犯率の高さと更生の難しさを語らせようと思い、裏付けとなる数字を探し回っていた。
「現代の米国に似た架空の国」が舞台であることを踏まえて、米国の囚人の再犯率を引っぱってくることにしたのだけど、「再犯防止対策等に関する研究」の「米国における累積再逮捕率の状況(3-2-2図)」がうってつけだった。
同図によれば、米国の州立刑務所の出所者は、出所してから1年以内に4割前後が、3年以内に半数以上が、そして9年以内に8割以上が再逮捕されていると分かる。(横地他 , 2019 , pp.39-40)
一方で、日本における出所受刑者がふたたび刑務所に入る割合については、2年以内の再入率が14.1%、5年以内の再入率が34.8%である。(犯罪白書 , 2023 , p.264)
「再逮捕率」と「再入率」では単純比較できないけれど、米国に比べて、日本の元受刑者の再犯率はかなり低いといえそう。
横地環, 池田怜司, 小林美智子, 竹下賀子, 佐藤正喜, 林光一, 河原田徹, 髙橋哲「再犯防止対策等に関する研究」(法務総合研究所研究部報告59 , 2019.3)
(第3章第2節2 , https://www.moj.go.jp/content/001288524.pdf)
法務省法務総合研究所 編『令和5年版 犯罪白書』(2023.12)
(第5編第3章3 , https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/70/nfm/n70_2_5_3_0_3.html)
Twitter(現X)で、「右目は過去を、左目は未来を見る」という言説を見かけた。
たとえば前髪や眼帯で片目を隠しているキャラクターがいたら、右目を隠しているか、それとも左目を隠しているかで、キャラ性をうかがい知ることができるというのだ。
右目を隠していれば、希望を抱きながら未来を見据えている、
左目を隠していれば、過去にとらわれて前に進めずにいる、という具合。
もっともらしいウンチク話だが、なにか出典があるのだろうか。
興味をひかれてザツ~に調べてみたものの、出典らしいものは見あたらず、むしろまったく逆の事例も見つけることになった。
アニメ「平家物語」の主人公びわは右目が青色で、
「右目で未来を見ることができて、左目はやがて、亡霊(=過去)を見られるようになる」*1
『俺は冒険者ギルドの悪徳ギルドマスター ~人材を適材適所に追放したら、なぜかめちゃくちゃ感謝されました』の主人公アクトは
「左目は、未来を見通し、秘められた可能性を見抜く。そして右目は、秘められし過去を読み取る」という能力を持つ(1章 3)。*2
『魔王様にパフェを作ったら喜ばれました』に登場するプラフマウロは
「右目で過去を、左目で未来を視れる神竜」である(第2巻)。*3
ゲーム「ポケットモンスター」のネイティオは
「右目は未来、左目は過去を見る」といわれている(銀)。*4
アニメ「カウボーイビバップ」のスパイクは右目が義眼であり、
「この左の目は過去を見てるんだ」(第13話)
「この目を見ろ。事故で失くして、かたっぽは作りもんだ。そんときから俺は、片方の目で過去を見て、もう一方で現在(いま)を見てた」(第26話)と語っている。*5
仮面ライダーBLACKに登場する悪の組織ゴルゴムの大神官ビシュムは
「左目で過去、右目で未来を見通し、怪人に知識や予言を与える」。*6
『奇眼』に登場するオッドアイという老人は、右目が青、左目が灰色で、
「右眼で過去を左眼で現在を見る」異能の持ち主らしい。*7
また『奇眼II』では、その両目で「過去と未来が見えていた」とも推測されている。*8
十河義郎の詩「サンボナベントウラへの道」には
「左眼は過去を右眼は未来を見る」という一節がある。*9
また玉岡洋子の「鏡がわれた」には
「右目は未来を探り、左目は過去をみつめる」という一節がある。*10
特殊な例だが、『時の魔女』にはアシュリーとエレノア、ふたりの主人公が登場し、
アシュリーの右目には未来、エレノアの左目には過去を見る力が授けられる。(第1話)*11
過去と未来を見る能力が、ふたりの人物に振り分けられているレアパターンである。
海外にも目を向けてみよう。
カナダ発のショートフィルム「盲目のヴァイシャ」の主人公ヴァイシャは、右目は茶色、左目は緑色をした美女で、
うまれつき右目で未来だけを、左目で過去だけを見ることができた。
しかし、いま現在のありさまを見ることができなかったために、周囲の人々から「盲目のヴァイシャ」と呼ばれた。*12
ちなみに英語だと「one eye on the past and the other on the future」という言い回しが多用されている。
「片方の目で過去を見て、もう片方の目で未来を見る」といったところだけど、
過去や未来を見る機能を、右目と左目に振り分ける言い回しは非常に少なく感じられる。
※
「右目は過去を、左目は未来を見る」という話で思い出すのは、映画「交渉人」の、とある場面だ。
汚職の濡れ衣を着せられた刑事ローマンは、自分を陥れた内務調査局長ニーバウムを人質にして立てこもる。
ローマンはニーバウムを尋問するが、返答するニーバウムの視線の動きから、ウソをついていると看破する。
「目を読んでるんだ。目はウソをつけない」
「目が左上に動いたら? 神経生理学的に言うとそれは視覚系への動きで――真実を言っている」
「もし反対に右へ動いたら――脳の創造部への動きでウソをついてる」*13
視線が左上に動くのは、記憶を探って、過去の視覚情報を思い出そうとしているからで、
逆に右に動くのは、見たことのないもの、記憶にないものを想像しているかららしい。
もちろん、相手がウソをついているか判断する材料は、目の動きだけじゃない。
体のしぐさ、咳払い、くしゃみ、足を組むなどの動作もとらえて、総合的に判断する。
「交渉人」に登場するこれらの台詞は、非常に示唆に富んでいると思う。
出典
1. 平家物語 , サイエンスSARU , 2022(文藝2023年春季号 , 河出書房新社 , 2023.1 , p.30)
2. 茨木野『俺は冒険者ギルドの悪徳ギルドマスター ~人材を適材適所に追放したら、なぜかめちゃくちゃ感謝されました』, 小説家になろう , 2020(SBクリエイティブ , 2021)
3. 要龍『魔王様にパフェを作ったら喜ばれました 2』, KADOKAWA , 2020
4. ポケットモンスター銀 , 任天堂 , 1999(小学館「小学二年生12月号」, 2000.12 , pp.42-44)
5. カウボーイビバップ , サンライズ , 1998
6. 仮面ライダーBLACK , 東映・毎日放送 , 1987(小学館「小学六年生11月号」, 1987.11 , p71)
7. 神林長平「奇眼」(早川書房「S-Fマガジン8月号」, 1986.8 , p.102)
8. 神林長平「奇眼II」(早川書房「S-Fマガジン7月号」, 1989.7 , p.238)
9. 十河義郎「サンボナベントウラへの道」(短歌人440号 , 1979.2, p.52)
10. 玉岡洋子「鏡がわれた」(新詩人354集 , 1975.10 , p.35)
11. 月森冴『時の魔女』, ニコニコ静画 , 2021(第1巻 , ナンバーナイン , 2022 , p.11)
12. Theodore Ushev「Blind Vaysha」, National Film Board of Canada , 2016
13. The Negotiator , Warner Bros , 1998
ブツメツフツマというツイ企画に「有沢実智」というキャラクターを投稿したのだけど、キャラの背景設定を深める手掛かりになるかもしれないと、「有沢」という姓氏について調べていた。
要は、「有沢」を名乗る氏族の血統や始祖について文献を読みあさっていたのだ。
手始めに『姓氏家系大辞典』を確認したところ、およそ、以下の6系統があると分かった。
1. 天武天皇の末裔である有沢氏。
2. 藤原南家の有沢氏。
3. 越中の有沢氏。
4. 土佐の有沢氏。
5. 信濃の有沢氏。
6. 松江の有沢氏。
1について詳述すると、承和8年(841年)、天武天皇の子・長親王の六世孫や七世孫にあたる王や女王ら16人が"有沢真人"の姓を賜ったのが、「有沢」の始まりという。
有沢姓を賜った16人は、長親王の五世孫である乙雄王の子や孫にあたる。
また、貞観14年(872年)には、有沢真人春則ら男女9人が"文室真人"の姓を賜ったともいう。
文脈を踏まえると、この文室姓を賜った9人も乙雄王の子孫らしい。
2は、藤原南家為憲流工藤氏流六郷氏の当主・六郷道行の弟・勝元の後裔のこと。
六郷道行は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将である。
道行の子・政乗は秀吉に臣従したが、のちに家康に味方して関ケ原の戦いで軍功を挙げた。
以後、六郷氏は代々出羽国本荘藩主を務め、明治に至ると子爵に封じられた。
勝元や、勝元が「有沢」を名乗るようになった経緯については、正直よく分からない。
3は、越中国婦負郡有沢村を拠点とした有沢氏。
もともと土肥氏の臣下で、天正11年(1583年)には、政繁の将・有沢五郎三郎が、佐々成政の軍勢を相手に奮戦して重傷を負った。
のちに成政は秀吉に降和、さらに上杉景勝とも講和し、景勝の臣であった政繁は有沢采女を、成政も別の人質を互いに差し出した。
『越登加三州志』は「婦負郡有沢村に有沢采女が居住していたらしく、だから有沢姓が多いのだろうか」という具合に書いている。
4は、土佐安芸郡を領した安芸氏の家臣だった有沢氏。
永禄12年(1569年)、長宗我部に安芸城が攻められて安芸国虎が自害したとき、有沢石見も殉じた。
国虎の死後7日目には、国虎の妻を逃がした黒岩越前も、主君の墓前にやって来て自害した。
安芸市の浄貞寺にはいまも国虎の墓があり、その左右にふたりの老臣の墓が並んでいる。
『南海通記』には、元亀元年(1570年)に安芸城が攻められたとき、防衛にあたった「有沢という者」が二階孫右衛門に討たれ、国虎と「黒岩という者」も自害したとある。
しかし国虎が自害したのは前年のことなので、誤伝ではないかと思う。
5は、信濃国諏訪郡を拠点とした有沢氏。
『諏訪郡諸村並舊蹟年代記』には、栗林山永久寺の裏に有沢氏の屋敷跡があると書かれている。
諏訪の氏族・神の、親縁であるともいう。
6は、松江藩と支藩・母里藩の重臣だった有沢氏。
松平直政のとき、家老である初代有沢織部直玄が、山荘と土地を賜った。
享保3年(1718年)、楯縫郡川下村に外国船が来泊したときは、弌胤が兵を率いて発砲し船を追い返した。
松平不昧のとき、5代有沢弌通が一歩庵宗佚を号して茶道を伝え、以来有沢家は代々茶人を輩出し、不昧流を称した。
とりあえず、こんなところ。
※参考文献
太田亮『姓氏家系大辞典 第一巻』(姓氏家系大辞典刊行会 , 1934)
栗田寛『新選姓氏録考証 巻之一』(吉川弘文館 , 1900)
高知県 編『高知県史要付録』(高知県 , 1924)
近藤瓶城 編『史籍集覧 第七冊』(近藤出版部 , 1906)
諏訪史料叢書刊行会 編『諏訪史料叢書 巻14』(諏訪史料叢書刊行会 , 1930)
東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第十一編之三』(東京大学 , 1930)
藤本充安 編『島根県史要』(川岡清助 , 1907)
本荘市 編『本荘市史 史料編 II』(本荘市 , 1982)