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Twitter(現X)で「西欧の王朝が同名を使いがちなのは、それがその王統をあらわす王名であるから」というつぶやきを見かけ、
大学時代に受けた講義を思い出した。
ドイツ王国ザクセン朝の初代ドイツ王をハインリヒ1世といい、
このハインリヒ1世から、代々オットーを名乗る家系と、代々ハインリヒを名乗る家系に分かれ、
オットー1世、オットー2世、オットー3世が続けてドイツ王を継いだあと、
ハインリヒ2世が第5代としてドイツ王を継いだというもの。
代々オットーを名乗る家系と、代々ハインリヒを名乗る家系とが、
親類関係にありながら対立し、王位をめぐって緊張関係を保っていたという話である。
この話のややこしい所は、王公の系譜をくわしく説明しようとすると、
同名人物が何人も登場してきて、ワケが分からなくなることだ。
順番に述べよう。
リウドルフィング家出身のザクセン公オットーの息子が、初代ドイツ王ハインリヒ1世である。
ハインリヒ1世の次男が第2代ドイツ王オットー1世で、三男がバイエルン公ハインリヒ1世である。
カブせてくるね~。
オットー1世の息子が第3代ドイツ王オットー2世、孫が第4代ドイツ王オットー3世である。
バイエルン公ハインリヒ1世の息子がバイエルン公ハインリヒ2世で、
バイエルン公ハインリヒ1世の妻の従兄弟つまり義従弟であるケルンテルン公ハインリヒが、のちのバイエルン公ハインリヒ3世である。
ハインリヒ1世および2世と、ハインリヒ3世のあいだに血縁関係は無い。
そしてハインリヒ1世の孫であるバイエルン公ハインリヒ4世が、第5代ドイツ王ハインリヒ2世として即位するのである。
ワケが分からないでしょ?
なおバイエルン公ハインリヒ1世は、兄であるドイツ王オットー1世に対して反乱を起こし、
バイエルン公ハインリヒ2世も、従兄弟であるオットー2世に対して反乱を起こしている。
代々のハインリヒはオットーに反抗的で、孫の代になって、ついに王位を手に入れたといえる。
日本だと、室町幕府の事例が似ているかもしれない。
初代将軍足利尊氏の三男が第2代将軍義詮、その後は義満、義持、義量と続き、みな「義」の字を継いでいる。
一方、尊氏の四男は初代鎌倉公方基氏で、氏満、満兼、持氏、成氏と続き、おおむね「氏」の字を継いでいる。
京都を拠点としていた将軍に対して、鎌倉公方は関東を統括する「将軍の代理人」だったが、
歴代の鎌倉公方は反逆を企てるなど、将軍に反抗的な態度をとることも少なくなかった。
日本においては、父祖の名前から一字とって子孫の名前とすることを「通字」という。
鎌倉執権の北条氏の「時」、徳川将軍家の「家」が好例で、歴代の天皇も「仁」の字を受け継いでいる。
欧米のように、父や祖父の名前を子孫がそのまま継ぐのではなく、
一文字だけ継ぐというのが、日本の特徴といえるだろうか。
閑話休題。
バイエルン公ハインリヒ4世はドイツ王ハインリヒ2世である、というのも頭が痛い話だが、こういう例は多い。
たとえば神聖ローマ皇帝カール5世は、オーストリア大公カール1世でもあり、
スペイン王カルロス1世でもあり、ブルゴーニュ公シャルル2世でもあり、イタリア王カルロ5世でもある。
「皇帝」はおおむね複数の王国を同時に統治するため、国ごとの君主号を帯びることになり、
結果、同一人物でもA皇帝としては2世、B王としては3世、C公としては1世という現象が頻発するわけだ。
日本語だと、国ごとの言語に合わせてカール、カルロス、シャルル、カルロという具合に名前を変えるから、
名前の”形”を見れば、どの国の何代目の王公なのか判別する手掛かりは得やすい。
同一人物なのに全然違う名前で呼ぶから、かえって混乱したりもするけど。
ちなみに英語だと、カール5世の称号と名前は
Holy Roman Emperor Charles V
Archduke of Austria Charles I
King of Spain Charles I
Duke of Burgundy Charles II
King of Italy Charles V
という具合に、ぜんぶ同じ「Charles」と表記されている。
いよいよワケが分からない。
ブツメツフツマというツイ企画に参加するにあたり、
世界観設定にある怪異「七億不思議」について考えをめぐらせていた。
“七不思議”の「7」に「1億」を掛け合わせて”七億不思議”というのだろうが、
この7億を英訳すると「seven hundred million」となる。
つまり「700×100万」ということなのだが、
これをムリヤリ「七百百万」と和訳して、
たとえば「ななおももよろず」と読めないか、ずっと調べていたのだ。
結論からいうと、そんな書き方や読み方をした事例は見つからなかった。
ただし、古代における位取りは、一、十、百、千、万、十万、百万、千万、
さらに万万、十万万、百万万、千万万と桁をくり上げていった、という説明を見つけた。
なかなか興味深い内容だったが、しかし、どうもこれはデタラメらしい。
神代古代でいうと、記紀には八十万神や八百万神という言い回しがある。
これらの表現は、実際に神が80万柱ないし800万柱あるということではなく、
神の数が多いこと、おびただしいことを強調する、詩的かつ慣用的な言い回しだ。
また日本書紀の神武紀には、神武天皇が、自身の祖先である天孫ニニギが地上に降臨してから
どれぐらいの年数が経過したかについて「一百七十九万二千四百七十余歳」と述べている場面がある。
「179万2470年余り」という意味だが、ま~、みごとに盛りに盛りまくった表現だ。
ともかく奈良時代には、80万、179万2470、800万といった大きな数字を表わす言い回しがあったらしいのだが、
「億」にあたる言葉は、どうも見あたらない。
もちろん「万万」や「十万万」という表現も見られない。
しかし江戸時代の算術書『塵劫記』には、ある時期における日本国内の人口について
「男は十九億九万四千八百二十八人、女は二十九億四千八百二十人、合わせて四十八億九万九千六百四十八人」と記載している。
この数値は、厩戸王(聖徳太子)の調査によるとも、行基によるともいわれるが、
いずれにしても、この場合の「億」は「十万」を意味している。
この「1億=10万」という考え方は仏典にもとづくらしく、平安時代の仏教関連の記述では多く見られる表記のようだ。
日蓮も、日本の人口について「四十九億九万四千八百二十八人」と言及しているが、ここでも「1億=10万」を意味している。
しかし鎌倉室町の軍記物では、十万や百万という用例も出てきて、億の立ち位置があいまいになっていく。
1万の1万倍としての「億」が定着するのは江戸時代以降らしく、
算術や数学が発展し、巨大な数字を扱う必要に迫られたという事情が背景にあるようだ。
※参考文献 大矢真一『比較数学史(事項別)』(富士短期大学出版部 , 1966)