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「井の中の蛙、大海を知らず」とは、狭い知識で物事を見ること、という意味の慣用句だ。
語源は荘子の「井蛙不可以語於海者、拘於虚也」だけど、日本では「このことわざには、じつは続きがある」という言説が流布している。
この"続き"とやらのバリエーションは様々で、「井の中の蛙、大海を知らず。されど空の青さを知る」「空の高さを知る」「空の深さを知る」などがある。
さらに「井の中の蛙、天を知る」という言い回しもあるらしい。
これは陶芸家・河井寛次郎の造語で、河井は1962年に「井蛙知天」の書をしたためており*1*2、「自分は日本から一歩も出たことはないが、井の中の蛙天を知る――で天の広さを知っている」とも語っていたっぽい。*3
どうやら、この「井蛙知天」が、「井の中の蛙、大海を知らず」の"続き"の初出のようだ。
また、北條民雄は1937年に「井の中の正月の感想」で、ハンセン病にかかって隔離生活をすることになった自身の境遇について「かつて大海の魚であった私も、今はなんと井戸の中をごそごそと這ひまはるあはれ一匹の蛙とは成り果てた」と嘆きながら、「とはいへ井の中に住むが故に、深夜冲天にかかる星座の美しさを見た」「大海に住むが故に大海を知ったと自信する魚にこの星座の美しさが判るか、深海の魚類は自己を取り巻く海水をすら意識せぬであらう」と主張している。*4
「井戸の中を這いまわる蛙」と「中天にかかる星座の美しさを見た自身」とを対比させていて、河井の「井蛙知天」の精神的祖型といえそうだ。*5
さらに、「井の中の蛙大海を知らず、しかしよしのズイから天をのぞいたら、また別に新しい人生もあろうというものだ。新しい世渡りの發見!」という詩も見つけた。*6
「葦の髄から天井を覗く」とは、細い葦(よし)の管を通して天井を見るように、狭い見識で物事を考える、という意味の慣用句。
井の中の蛙も、葦の髄も、どちらも知識の狭さをいましめる言葉なのだけど、後者については新しい視点に立つ」というようなポジティブな使い方をしていて、意味合いを逆転させているのが面白い。
ちなみに「葦の髄から天井を覗く」は、「管見」と同じく、自身の見識を謙遜する言い回しとして使われることもあるらしい。
他方、「井の中の蛙大海を知らず、されど井の深さを知る」という表現もある。*7
いままで挙げてきた例と違い、手が届くことのない天空ではなく、自分が今いる井戸に視線を向けた表現で、個人的にはこちらの方が好みだったりする。
ついでに、検索している最中に、ある人物を「決して井の中の蛙的ではなく、大海の青龍であろふ、が而し如何にしても活動の天地が狭いが故、思ふ中途にも行くまい」と称賛している文章も見つけた。*8
蛙から龍へ、井戸から大海そして天地へとスケールアップする表現に、心くすぐられる。
1. 森本 , 2018
2. また、河井は雑誌『民藝』への寄稿文の小見出しを「井蛙知天」としている。(河井 , 1965)
3. 国民生活研究協会 , 1959 , p.6
4. 北條 , 1937
5. そもそも北條の「井の中の正月の感想」は、ハンセン病患者を「井の中の蛙」になぞらえた関西MTL理事・塚田喜太郎の差別的・嘲笑的な論稿「長島の患者諸君に告ぐ」に反論するため書かれたものだった。
6. 大山 , 1951 , p.124
7. 吉岡 , 1997
8. 平山 , 1913 , p.25
参考文献
・大山広道『世渡りの道 処世百科事典』(鷺ノ宮書房 , 1951 , p.124)
・河井寛次郎「六十年前の今(40)」(民藝148 , 日本民藝協会 , 1965.4)
・塚田喜太郎「長島の患者諸君に告ぐ」(山櫻18(10) , 1936.10)
・平山清治郎『名士の応対振り』(香鹿民友社 , 1913 , p.25)
・北條民雄「井の中の正月の感想」(山櫻19(1) , 1937.1)
・森本泉「酷暑のなか、涼しい美術館で「民藝」の巨匠と出会う」(WebLEON FROM EDITORS , 2018.7 , https://www.leon.jp/editors/8820)
・吉岡忍「日本の南の端にこんな場所がある ひとがみな自分の家で死ねる島」(文芸春秋75(2) , 1997.1)
・産業と生活(19)(国民生活研究協会 , 1959.11