雷が運営するサイト・蒼雲草のブログページ。日々のことを書き綴る予定。あくまで予定。
フェアリーサークルというものがある。
草地や森の中で、キノコが輪状に並んで生えている現象や、その輪のことを、
「フェアリーサークル」や「フェアリーリング」などと呼ぶ。
英国などでは、妖精たちが輪になって踊った跡だという。
そんなフェアリーサークルについて、おもしろい話を見つけた。
「フェアリーサークルや、樹のウロのそば、テーブル状のキノコの上、小川のほとりなど、
妖精が住んでいそうだなと思った場所に、牛乳と蜂蜜を入れた小さなカップを置いておく。
戻って来たとき牛乳と蜂蜜が減っていたら、妖精が贈り物をうけとったということ。
妖精から幸運がもたらされ、人生は魔法のような出来事でいっぱいになるだろう」と。
フェアリーサークルの中に、牛乳と蜂蜜を入れたカップを置いておいて中身が減ったら、
妖精がやってきて牛乳と蜂蜜をうけとったしるしなのだという。
ただし原文では「a fairy circle of flowers and trees」とあるから、キノコの輪ではなく、
花や小木が輪状に生えたものを「フェアリーサークル」と呼んでいるっぽいのだけど。
でも、カップの置き場は「妖精が住んでいそうな場所」ならどこでも良さそうだから、
キノコの輪のフェアリーサークルの中にカップを置いても、効果がありそうな気もする。
Darcy, D.『Handbook for Hot Witches』(New York, Henry Holt and Company, 2012, p.76)
「ユニコーンは処女に従順だが、男でも、女装して香水をつかえば手懐けられる」というネタ。日本限定の与太話かもしれない、と英語文献に類話がないか調べていたら、とある子供向けの演劇の脚本に、登場人物が、ユニコーンの捕まえ方が本に記載されているのを見つける場面があった。
>パプリカ: ここよ。こう書いてある。「旅人はインド、アラビア、モロッコを探してきた。男装した者は近づくことができない。男は若い娘に変装し、服に香水をつけ、花冠をかぶり、木の下に座って愛の歌をうたわなければならない。香りに引寄せられたユニコーンは、乙女の膝に頭をのせて眠りに落ちる」
(中略)
>ピッター: (本を閉じながら)パプリカ、ユニコーンを捕まえるために、ドレスを貸してくれるかい?
>パプリカ: ここに乙女がいるのに、なぜ変装するの? わたしも一緒に森に行くわ。
>(McCallum, 1965, p.10)
直前にあるユニコーンの説明は「馬の胴、羚羊の後ろ足、獅子の尾。額にねじれた一本の角」「角の根元は白、中ほどは黒、先端は赤。体は白、頭は赤、目は青」と、古い伝承を踏まえている。女装云々も元ネタがありそうだ、と探してみたら、もっと古い資料を見つけることができた。
>インド、アラビア、モロッコに生息するというこの動物を求めて、人々は長い巡礼の旅に出たという。男は、男装したままでは近づくことができない。若い娘の服を着て変装し、服に香水をつけ、そしてユニコーンの棲み処に横たわらなければならない。狩人の衣装の香りにさそわれ、甘い匂いに引寄せられたユニコーンは、乙女と思われる者の膝に頭をのせて眠りに落ちる。
>(Holder, 1912)
細部は異なるけど、脚本の記述と、おおむね一致する。
「ユニコーンは処女に従順だが、男でも、女装して香水をつかえば手懐けられる」というネタは、英語の活字本で、とりあえず1912年までさかのぼることができた。同じ話が子供向けの百科事典『The Book of Knowledge』にも掲載されているから、それなりに由緒ある説話なのだろうと思う。
>McCallum, P.『The Uniform Unicorn』(Denver, Colorado, Pioneer Drama Service, 1965)
>Holder, C. F.「Queer Steeds」(Boys' and Girls' Bookshelf Vol.16 Part 2, New York, University Society, 1912)
>Thompson, H. & Mee, A.(Eds.)『The Book of Knowledge Vol.1』(New York, Grolier Society, 1926)
「アリアクネ」という言葉がある。
英雄テセウスを迷宮から脱出させるために糸玉を用意したアリアドネ(Ariadne)と、
女神アテナと機織りの技を競ったせいで蜘蛛の姿に変えられたアラクネ(Arachne)。
ギリシア神話に登場するふたりの女性、その名前を合成したのがAriachneである。
Shakespeare(1602)が『トロイラスとクレシダ』に登場させたのが、Ariachneの初見と思われる。
もちろん誤字や誤植の可能性もあるけれど、「シェイクスピアがふたつの寓話を混同していたとしても、それは同時代の人々がしていたことと大差なかった」という指摘もある(Ingleby, 1867)。
つまり17世紀の西洋人は、アリアドネとアラクネをしばしば混同していた可能性があるのだ。
調べてみると、同じ17世紀の文献で「Ariachne」が登場するものが見つかった。
『The Generall History of Women』では「パラス(アテナ) は老婆に変じて、アリアクネと競った」と語られ(Gent, 1657, pp.71-72)、
『Palaestra Eloquentiae Ligatae』では「アリアクネとファランジス」という言い回しが使われている(Masenio, 1654, p.162)。
これらが、アリアドネとアラクネを混同した実例といえそうだ。
ところで、アリアクネと並べて用いられていた「ファランジス(Phalangis)」とは、何だろうか。
これはギリシア神話の、非常にマイナーなバージョンに登場する人物のことであり、Phalanxの異綴らしい。
別伝のあらすじは、以下のとおりである。
アッティカに、ファランクスとアラクネという、ひとくみの兄妹がいた。
ファランクスはアテナから戦争の術を学び、アラクネは縫織の技を教わった。
しかし兄妹は近親相姦を犯してしまい、怒った女神はふたりを蛇に変えた。
また『博物誌』は、アラクネの息子について言及している。
プリニウスは「羊毛をつむぐための紡錘はアラクネの息子クロステルが、糸と網はアラクネ自身がつくりだした」と語っているのだ。
アテナに挑んで蜘蛛に変えられた他にも、兄ファランクスと交わったり、息子クロステルを生んだり、
さまざまな別バージョンの伝説が、アラクネにはあるらしい。
参考文献
Beagon, M. trans.『The elder Pliny on the human animal: Natural History, Book 7』(Oxford, Clarendon, 2005, p.102)
Brunel, P(1988)『Dictionnaire des Mythes Féminins』(Monaco, Rocher, 2002, p.146)
Gent, T. H.『The Generall History of Women: of the most holy, and prophane, the mos famous, and infamous in all ages』(London, W.H. for W.H. 1657)
Ingleby, C. M.『The Still Lion』(Deutsche Shakespeare -Gesellschaft, Jahrbuch, Berlin, 1867)
Masenio, I.『Palaestra Eloquentiae Ligatae, novam ac facilem tam concipiendi, quam scribendi quovis Stylo poëtico methodum ac rationem complectitur, viamque ad solutam eloquentiam aperit』(Coloniae, Typis & sumptibus Wilhelmi Friessem Bibliopolae, 1654)
Noel le Comte『Mythologie c'est-à-dire Explication des Fables』(Lyon, chez Paul Frelon , 1600, p.786)
Shakespeare, W.『Troilus and Cressida』(1602)
エンプソン, W. 著, 星野徹, 武子和幸 訳『曖昧の七つの型』(思潮社, 1972)
バージェス, A. 著, 川崎淳之助 訳『その瞳は太陽に似ず』(早川書房, 1979)
ディズニーが実写映画「白雪姫」を公開したのをきっかけに、Twitter(現X)で白雪姫のネーミングの由来が話題になっていた。
いわく、肌が雪のように白かったから「白雪姫」と名づけられた。
いわく、雪の日に生まれたから「白雪姫」と名づけられた。
結論からいえば
「肌が雪のように白かったから『白雪姫』と名づけられた」が、もっとも矛盾がない。
原作グリム童話を読んでも、「雪の日に生まれた」という記述は見あたらないので、「雪の日に生まれたから説」は、すみやかにしりぞけることができる。
ただし、「肌が雪のように白かったから説」も、無条件で支持できるものではない。
原作では、白雪姫の肌が白いとは、明言されていないからだ。
「雪の日に、王妃が、黒檀の枠の窓辺に座りながら裁縫をしていると、針で指を刺してしまった。
すると傷口から3滴の血が落ちて、白い雪を赤く染めた。
雪が血に染まる様子を見て、王妃は『雪のように白く、血のように赤く、髪が黒檀のように黒い子が生まれよ』と願った。
まもなく、そのとおりの女の子が生まれて、女の子は白雪姫と名づけられた」
これが白雪姫の誕生譚である。白雪姫の肌が白いとは明言されていない。
ちなみに物語の後半で、赤いのは頬であると説明されている。
この内容は1857年版(第7版)のものだ。
グリム童話は1810年の手書き原稿から、1812年版(初版)、1819年版(第2版)と改訂をくりかえしており、1857年版が決定版とされる。
手稿と各版は、プロットの大枠は同じだが、細かい記述はさまざまに異なる。
1810年の手稿(エーベンベルク稿)では、王妃は「雪のように白く、頬が血のように赤く、眼が黒檀のように黒い子が生まれよ」と願っている。
ここでは、赤いのは頬とされ、黒いのは髪ではなく眼とされている。
なお髪の色については、中盤で黄色であると説明されており、初期設定では、姫は黒髪ではなく金髪だったと分かる。
あいかわらず、肌が白いとは明言されていない。
1812年の初版や、1819年の第2版では「雪のように白く、血のように赤く、黒檀のように黒い子が生まれよ」と願う。
1812年版はそのとおりの子が生まれるが、1819年版では黒いのは髪であると補足される。
そして1812年版も1819年版も、終盤の描写で、赤いのは頬だと分かる。
ひきつづき、肌が白いとは明言されない。
つまるところ、1810年、1812年、1819年、1857年いずれのバージョンでも、グリムは「白雪姫の肌が白い」とは書いていないのである。
だが「まあ、白いのは肌だろうね」と万人が察するところだろう。
白くて赤くて黒い女の子が生まれました。
赤いのは頬で、黒いのは髪です。
では、白いのは何でしょう?
こんなふうにクイズを出されて「白いのは心です」などと答える人は、むしろ少数派だと思いたい。
順当に考えれば、外見で分かるもの――つまり肌が白いのだろうと推測するのではないだろうか。
念のために、その他のありえるパターンも考えてみよう。
眼球が白い。
なくはないが、ムリがある。
そもそも1810年版での白雪姫は「雪のように白く、頬が血のように赤く、眼が黒檀のように黒い子」だった。
彼女の死体の描写でも「もしまぶたを開いたら、その眼は黒檀のように黒いはずだった」と説明していた。
死んでいて、しかも大事に棺に納められていたら、まぶたが閉じているのが自然だろう。
そこで「もしまぶたを開いたら」と仮定の話をもちだすのは唐突だし、どうも違和感がある。
おそらくそれを反省したのだろう。1812年版では眼の説明を省略、1819年版で黒いのは髪であると変更された。
こうした経緯を踏まえると、眼球が白いという推測は、合理的ではない。
歯が白い。
なくはないが、やはりムリがある。
そもそも生まれたばかりの赤ん坊には歯がないので、無い歯をさして「雪のように白い」とは表現できない。
たとえ白いのが歯だったとしても、死体を描写する場面で「もし口を開いたら、その歯は雪のように白いはずだった」と、これまたヘンテコな説明をするハメになったに違いない。
歯が白いというのは、考えにくい
その他の体の部位が白い。
なくはないが、どうしてもムリがある。
頬は赤、髪は黒もしくは金で確定している。
頬や髪とは別の部位――たとえば額や鼻、のど、手足などが白いという可能性はあるが、それなら、どの部位が白いのかあいまいにしておく理由が無い。
たとえば「鼻がしらが雪のように白く、頬が血のように赤く、髪が黒檀のように黒い子」と書けばいい。
これ以上ない特徴だ。キャラも立つ。
しかしそうしなかった理由は、白いのが「一部」ではなかったからだろう。
全身の肌が白かったと考えるのが、やはり自然だと思うのだ。
>小沢俊夫『素顔の白雪姫: グリム童話の成り立ちをさぐる』(光村図書出版, 1985)
調べ物のために、古い小説を手当たり次第に読みあさっていたのだけど、
そのなかで次のような一節を見つけた。
「魔法で人を殺せるなんていう考えは、何百年かむかしの話……
二十世紀の今日じゃあ、全然通用しませんね」*
物語の舞台は、とある実業家の邸宅。
誰も出入りできないはずの部屋から忽然と姿を消した女性が
翌朝、その部屋で、胸を刺されて殺された状態で発見された。
思わぬかたちで密室事件にたちあった新聞記者は
まるで魔法が使われたようだと戸惑っていたが、
そんな彼に、現場にやってきた刑事が言って聞かせたのが、
さきの一節だった。
だが待ってほしい。
魔法を人で殺せるなんていう考えは、たしかにむかしの話だ。
しかし何百年かむかしの話というほど、古くはない。
「およそ妖術毒薬を用い人を殺すものは、おのおの謀殺をもって論ず」と
妖術によって人を殺した場合の刑を定めた「假刑律」が編纂されたのは、
明治元年――1868年のことで、くだんの小説は1956年の発行である。
假刑律編纂から小説が書かれるまで、たった88年しかたっていない。
「何百年かむかし」というほど、古い話ではない。
人々はごく最近まで、魔法や妖術で人を殺すことができると、
ほんとうに信じていたのである。
* 高木彬光「鏡の部屋」(邪教の神, 東方社, 1956, p.147)