雷が運営するサイト・蒼雲草のブログページ。日々のことを書き綴る予定。あくまで予定。
明治大正期に「細胞(さいばう)」という言葉がどれほど一般市民に浸透していたのか、みたいなことを調べていた。
結論からいえば、はっきりしたことは分からなかったのだけど、思わぬ収穫があった。
NDLデジタルアーカイブで検索したところ、「体中の細胞」という言い回しが記載されている最古の辞典類は『国民百科辞典』(富山房, 1908)だった。
『日本家庭百科事彙』(富山房, 1906)にも「細胞」の項がある。
日本最初の本格的な百科事典といえば三省堂の『日本百科大辞典』だけど、「細胞(さいはう)」の項が立てられている第4巻が出版されたのは1910年だ。
『国民百科辞典』の方が2年早く、『日本家庭百科事彙』はさらに2年早い。
いずれにしろ、明治期(1868-1912) には一般市民のレベルにも「細胞」という概念が知られていた可能性はある。
さてさて「思わぬ収穫」。
『国民百科辞典』の序文には「ブリタニカなく、ラルーズなく、マヤーなき我国に於ては、此一小冊子を編纂するも、亦決して軽易なる事業に非ず」とある。
ラルーズはラルース、マヤーとはマイヤーのことで、ブリタニカ、ラルース、マイヤーといえば、それぞれ英仏独を代表する百科事典のことだ。
諸外国の辞典を見据えながら日本独自の百科事典を生み出そうとしていた、当時の富山房の気合の入り具合がうかがえる。
さらに『日本家庭百科事彙』では、諸外国における辞典の充実ぶりをふまえて、
編纂者が「かくの如き辞典を以て我国の家庭に供給せば、婚期早き婦女をして、修学年限の短きを歎ぜしむることなく、家庭の改善進歩には莫大なる効果あるべしと思惟したりき」と述べている。
当時としてはなかなか先進的な考え方だと思う。
くわえて家庭百科事彙は、諸外国の代表的な百科事典として
英国のブリタニカとチェンバーズ、米国のインターナショナル・サイクロペディアとアメリカン・サイクロペディア、
独国のマイヤーとブロックハウス、仏国のラルースを列挙している。
日本における百科事典の在り方と、諸外国の百科事典への眼差しをうかがい知ることができたのが嬉しかった、というお話。
>『日本家庭百科事彙』(富山房, 1906)
>『国民百科辞典』(富山房, 1908)
>『日本百科大辞典(4)』(三省堂, 1910)